相互理解

川添昭二さんの『中世文芸の地方史』(平凡社選書、1982年)です。
九州人の川添さんは、九州の文学と歴史とのかかわりを中心にいろいろと論じてきました。1970年代から80年代はじめにかけての論考を軸にこの本は書かれています。
太宰府に残る史料を軸とした考察や、宗祇の紀行文を手がかりにした当時の大内氏の支配体制を論じたものもありますが、ここで、『八幡愚童訓』をあげながら、〈蒙古襲来〉がうみだした文芸作品を論じたものが、気になりました。
保元物語』『平治物語』『平家物語』『承久記』と、それ以前の兵乱には軍記物語がついてまわるのに、なぜ元寇のときには荒唐無稽な神話を媒介にした『八幡愚童訓』になってしまったのかということについての論なのです。
たしかに、蒙古襲来は京都にとっては切迫感があるのかどうか、『増鏡』に描かれたくらいの感覚でしかないようですし、実際に爆弾低気圧と台風という二つの〈神風〉で決着がついたような終わり方をしたのですから、物語的なドラマには欠けたのかもしれません。
相手方の論理をつかまないでいくさの場面を描けば、それはたしかに〈手柄話〉になってしまう。このときはそれが、神様のてがらだということなのでしょう。文学が成立するには、そこも考えなければいけないということなのでしょうか。