感性

abさんご』ですが、聞くところによれば、初版8000部だったとか。コアな文芸誌読者は約2000弱いるでしょうから、その人たちは、初出誌を入手しそこねたら買う可能性の高い人でしょうから、その分は計算にいれてもよかったのではないかと思います。
ところで、作品そのものですが、併収された初期作品3作は、「タミエ」という少女を主人公に、こどものもつ毒を描き出そうとしています。その方向で書き続けていけば、もう少し早く世に出ることもできたのではないかと、今となっては思います。ただ、その毒に徹しきれないところが、作者にあったのではないか、と感じられます。「純文学」はそうした毒を書かねばならぬという、作者の側に思い込みがあって、それと自分の資質とがあわなかったのではないでしょうか。
表題作は、作者が老境にはいったということもあってか、過去を断片的にふりかえることで、当時の心象を描くところにねらいがあるのでしょう。「へやの中のへやのようなやわらかい檻は、かゆみをもたらす小虫の飛来からねむりをまもるために、寝どこ二つがちょうどおさまる大きさで四すみをひもでつられた」と、蚊帳を描写するのですから、こうした表現を意図的に使用することで、子どもの頃の思い出を距離感をおきながら、現在の感性になぞらえつつ記述するわけです。よくよく読めば、主人公は4歳のときに母を失い、38歳のときに主人公を授かった学者らしい父親と暮らします。そのうちに、女性の同居人があらわれ、三人の生活がつづき、主人公は22歳のときに家をでて独立、10年後の32歳のときにその同居人が正式に父の配偶者となり、その10年後に父が亡くなる、という程度の生活史はみえてくるように書かれています。その、闖入者ともいうべき同居人への微妙な距離感が、実はこの作品のポイントだといえるのでしょう。