評価

『前衛』2月号に、武居利史さんの「よみがえる一九五〇年代の前衛芸術と社会運動」という論考が載っています。武居さんは、美術運動の研究をされている方で、この論考も、当時の砂川闘争と美術家とのかかわりを中心に、当時の日本美術会のひとたちの動向も関連させて追っています。
その中で、1950年代の日本美術会や、アンデパンダン展が今までは低く評価されていたが、最近はそれが見直されつつあり、新海覚雄の仕事も位置づけられようとしていると、武居さんは述べています。
そういえば、今月に本巻全20巻が完結した集英社の「コレクション戦争と文学」でも、たとえば講談社文芸文庫の全18冊の戦後短編アンソロジーから無視されていた、金達寿や西野辰吉に霜多正次、窪田精や冬敏之、戸石泰一や李淳木の作品が収録されています。すべてとはいいませんが、少しは作品を作品としてきちんと位置づける方向にいっているということかもしれません。
ただ、むずかしいのは、武居さんが1950年代をふりかえるとき、鳥羽耕史さんの本を引きながら、〈「記録」の時代〉の一端として、安部公房ルポルタージュの提唱をとりあげているような点です。当時の安部は『人民文学』に拠っていたわけで、『人民文学』のもっていた複雑な性格を考えると、この時代の文化運動を今の時点からふりかえることのややこしさも、そこにはあらわれてきます。
文化運動全体を見通して、深めなければいけないことは多そうです。