ワイルドカード

岩倉使節団、サンクトペテルスブルグを見学して、北欧に向かいます。(文庫本4巻中途)
ロシアをみて、かれらは、ロシアは当時のヨーロッパの中では遅れた国であることを実感します。にもかかわらず、幕末から日本のなかに、ロシア脅威論が流行するのは、19世紀初頭の最初の接触が、ペリーのような形での条約という結実に結びつかなかったからだと考えるのです。〈米英が友好的でロシアが対決的〉というのではなく、米英を友好的にみるのならロシアも友好的にみることはできるはずだし、ロシアを対決姿勢でながめるならば、米英も対決的な姿にみえるはずだと、かれらは認識するのです。
〈列強〉と呼ばれるようになる、当時の先進国クラブにはいる資格を得ようとする面では、ロシアはたしかに先頭にいるのでしょうが、ミトハト憲法をとりあえずつくりあげたトルコにしても、「王様と私」の題材となったタイにしても、アヘン戦争太平天国を乗り越えようとする清も、政府首脳が訪欧し先進国事情を視察する日本にしても、このときにはあまり変わらなかったのかもしれません。そこから日清・日露と、日本が〈勝ちあがってくる〉ということになるのでしょう。