狭い世界

高見順「故旧忘れ得べき」(1935年の作品)です。
作者をプロレタリア文学崩れから、当時の人気作家にした作品だそうです。
1933年に、小林多喜二が殺され、佐野・鍋山が屈服し、宮本顕治が捕らえられるなかで、社会を変革しようとしていた運動は動きがとれなくなりつつありました。その中で、旧制高校時代に、その運動というか、思想の勉強の末端にいた人たちが、社会に出て生活する中で、鬱屈した気分にとらえられていた状態を、活写した作品だといえるでしょう。登場人物たちは、当時最高峰の学校と考えられていた第一高等学校に在学していたものばかりです(東京の本郷界隈の高校といえば、駒場に移転する前の一高しかありません)。望めばどんな出世もできたろうに、社会運動に接したばかりに、出版社で辞書の編纂をしたり、保険の外交員になったり、競馬場の事務を執ったり、そんな自分を扱いかねている人たちです。
その点で、かれらの鬱屈は本来あったはずの自分に対する、無意識の羨望なのかもしれません。そこをえぐりだしたところに、作者の発見はあったのでしょう。
旧制高校に進学できたひとは、もちろん限られています。しかし、可能だった自分と現在をひきくらべるのは、誰もができることでしょう。題材の特殊性はありますが、そうした鬱屈は、今もどこかにあるようです。