どっちもねらう

大石又七さんの『ビキニ事件の真実』(みすず書房、2003年)です。
3月1日ということで読み始めたのですが、アメリカが当時第五福竜丸をスパイ呼ばわりしたりとか、日本側が政治決着を持ちかけたりとか、当時の支配層のあわてぶりも注目に値するのですが、船が焼津に帰ってきて、みんなの体調がおかしくなってきたとき、それを全国に知らせたのが『読売新聞』だったというのです。
この年、1954年は読売が〈ついに太陽をとらえた〉と原子力の〈平和利用〉推進の立場からの連載をしていた年にあたるわけで、そのこともあって、ことの重大性を認識したのでしょうか。3月14日に帰港して、15日に症状のひどかった人が東大病院に入院、新聞記者が焼津でことを耳にして本社に打電したのも15日、東京では入院した人をその夜半に捜し当てて取材、3月16日の朝刊に記事が載ったのだそうです。
一方で〈平和利用〉をいい、もう一方では核実験という、そのころの流れを考えさせられました。