今月今夜の

きのうの夕方、満月にちかい月をみていて、ふと考えたのですが、熱海で間貫一くんが「涙で曇らせてみせる」といったのはこの季節の月ではなかったかと。たしか、「1月17日」という日付だったと記憶しているのですが(『紅葉全集』(岩波書店)は書棚の奥にあってすぐに取り出せません)、これは新暦か旧暦かと一瞬考えてしまったのです。当時は、日常的な行事はけっこう旧暦でおこなわれていたのではなかったかと思うのです。たまたま、『新潮』2月号に載っていた、椹木野衣宇川直宏の対談で、明治の三陸津波は旧暦の端午の節句の日だったので、それを題材にした絵には、武者人形やこいのぼりが描かれているという指摘もされていたので、〈17日の月〉と書かれていたら、当時の読者は旧暦の月を想像したのかもしれません。もちろん、『金色夜叉』の舞台は東京ですから、新年のかるた会は新暦の正月に実施されたのでしょうけれど。
そういえば、樋口一葉の『十三夜』も、旧暦九月十三日のお月見の日というところに、意味をもたせていたように思います。

杉浦明平の『海の見える村の一年』(岩波新書)だかに、このころようやく正月が新暦に変わったというような記述があったとおぼろに記憶していますが、そうだとすると、愛知県の農漁村では、1950年代まで旧暦で正月をしていたのですね。いまでも、中国・韓国・ベトナムでは旧正月が長期休暇になっていますが、日本だけが違うというのも、日本の近代化のありようとかかわるのでしょう。