修復

高階秀爾さんの『新版 日本美術を見る眼』(岩波同時代ライブラリー、1996年)です。
新版に際して増補されたなかに、1996年に書かれた「記憶の遺産」という文章があります。ユネスコ世界遺産をめぐってのエッセイなのですが、それによると、法隆寺世界遺産に登録されるときに「建物に使われている材料が、創建当初のままのオリジナルなものであるかどうか」が議論になったのだそうです。もちろん、日本でも名古屋城のように、戦災で消失したものを外観だけ復興したものをオリジナルというわけにはいきませんが、修復の観点が、日本とヨーロッパではちがっているのかを示す例になるのでしょう。ドイツだかポーランドだかのどこかの町で、空襲で破壊された大聖堂を、その瓦礫をふたたび組み上げて再建したという話は聞いたことがありますが、そうしたちがいは、知っておかなければならないのでしょう。

昨年のさまざまな災害で、失われたものを復興しなければならないときに、文化財でも、生活でも、なにをもって〈復興〉というのかが問われるわけで、そのときにも考えるべきことを、この話は示唆しているようです。