これは言ってほしくなかった

浅尾大輔さんが、新作「猫寿司真鶴本店」を、『モンキービジネス』vol.15(ヴィレッジブックス)に発表しました。
神奈川県真鶴町を舞台にした作品です。
浅尾さんは、『今の時代はまっとうに生きることはできないから、何かを欠落させないと生きられない』という人たちを作品にしています。ですから、今回も、いちおう「猫」が語り手ですが、これにもしかけはありそうです。というのも、作品に登場する「犬」は、実は40歳近い男性が、大学を出て3年間ぐらい大手企業に勤めていたのが(時期的にはバブル期末期みたいです)仕事を辞めて故郷の真鶴に戻り、約10年くらいした35歳の頃から犬に変身していったのだというのですから、「語り手」の「猫」も正体はなんだかわかりません。
そうした、「欠落」を抱えて生きる人たちを描く、浅尾さんらしい作品なのです。でも、タイトルに書きましたが、これはいただけない。「そこに疑うことを知らない者の証しがあって、私たちは、警察の取調室に設定されたマジックミラーや探偵屋が仕掛けた盗聴器、革命組織による査問や権力が企てるフレームアップでも探知できない誠実な、危機を訴える正しさがあると思った」(p282)
浅尾さんは、「〈革命組織〉というのは、連合赤軍のようなものを指していて、語り手がそういっているのは語り手の認識が不十分だからだよ」と、言ってくれるかもしれません。あたかも、「ストラグル」のなかで、ナザレのイエスの事績を書いた新約聖書のことを主人公が「ヘブライ文字で書かれた」という認識をした、と設定し、主人公の無知をほのめかすことで、主人公が弱点を抱えていることを描こうととしたように。
しかし、この作品のなかに「革命組織」といえるものは登場しません。作品世界の裏づけがなくて、こうした記述がされることは、浅尾さん自身が〈革命組織〉の〈査問〉は真実を明らかにできない行為だと受け止めていると読まれます。
はたしてそれでいいのでしょうか。宮本百合子の『播州平野』では、主人公の夫、重吉は、党に潜入したスパイを尋問中にその中の1人が死亡したことを理由に、無期懲役の刑の宣告を受けて獄中にいるという設定です。重吉の行為は、〈権力が企てるフレームアップ〉と並べて記述していいのでしょうか。
もちろん、作品の片言隻句を言挙げするのはあまりよくないことではあるでしょう。けれども、この一言で、がっくりくる読み手もいると思います。