弱点と弱さ

『若き親衛隊』、終わりました。
ドイツ占領下の抵抗組織、「若き親衛隊」は、ドイツ軍の物資を奪ったり、徴発された家畜を解放したり、モスクワからの放送を聴きとってそれをビラにして配布したりと、いろいろな抵抗を試みたのですが、1942年の年末、ドイツ軍の物資を奪取して、その一部を市場に出したところから足がつき、最終的に組織の存在が探知され、弾圧を受けてしまいます。1943年の春には、ドイツ軍はそこから退却するので、もう少し持ちこたえていれば、〈解放〉が可能だったかもしれません。
作品では、拷問によって屈服してしまう人物が登場します。彼は、最初につかまったとき、物資奪取を認めてしまい、そこからだんだんといろいろな組織のことを洩らしてしまうという設定になっています。その彼は、それ以前から、微妙なふるまいが多く、最初は指導的な部署にいたのが、解任されたという人物として描かれます。
もちろん、それは一定事実に基づいているのでしょうし、そうした弱点を持った人物から、組織のすがたが見えてしまうこともあるでしょう。けれども、抵抗組織のメンバーが次々とあぶりだされるのを、すべてその人物に責めを帰して、ほかの抵抗組織のメンバーは最期まで立派にたたかったとするのも、どんなものかとも考えてしまいます。拷問がむかしから行われてきたのは、それによって〈落ちる〉可能性がけっこうあるからでしょう。みんなが英雄的にたたかえるなら、肉体的にいためつけても無意味だということになって、それは単なる支配者の〈趣味〉だということになりかねません。人間とはそうした〈弱さ〉を抱えた存在だと思わなければならないように思います。