あっちへいったり

徳永直の「他人の中」だったと思うのですが、自伝的な作品ですので、これから紹介する話も、たぶん事実にもとづいているのでしょう。
主人公(数えで16か17です)は米屋に住み込みで奉公しているのですが、ある夜、先輩から女性のいる場所に連れてゆかれます。けれども、主人公はそれになじめず、何もしないで泊まらずにすぐに帰ってきます。すると、主人夫婦や番頭が、「てっきり今日は泊まってくるもんだと思っていた」という趣旨のことを言い、主人公はびっくりします。

そういうのが当たり前にされていた時代があり、戦争の時代もそういう時期だったわけです。戦後もしばらく続きます。前に、映画の「三丁目の夕日」が1958年4月から物語がはじまるのにも、そこが時代の転換だという意味があるとここで書いたような気もしますが、ともかく、1958年からは、日本は買春を正当なものとは認めなくなったわけです。となると、今の20歳前後の人たちの親の世代は、その時期に生を受けた人が多いにちがいありません。

今の若者は、買春を是としない(細かいことは抜きですよ)親に育てられ、自らもそうした条件のなかで、恋愛関係をつくり、家庭を持ち、両性の関係をつくりあげていくことが求められているのです。エンゲルスの言う、〈経済的な関係が両性の関係を支配するという経験を持たない世代〉とまではもちろんいえませんが、大局的には、そうした方向に社会が進んでいくのでしょうか。いわゆる〈慰安婦〉問題を隠蔽したがる人たちは、そこを逆行させることを考えているのでしょう。

最近の〈非実在青少年〉をめぐる問題も、そうしたことと無関係ではないのでしょう。わかものたち、こどもたちが出会う〈文化〉のなかで、両性の関係がどのように扱われるのかに関しても、よくみていかないといけないのかなとも、思うときがあります。〈児童ポルノ〉問題も同様でしょう。平野啓一郎さんの「決壊」でも、中学生のなかでの関係が、事件にかかわっているのですし。

あいまいな物言いになってしまいましたが、具体的な作品名をあげるには、まだちょっと早いかなとも思うので。