その気にさせる

小林信彦さんの『映画が目にしみる』増補完全版(文春文庫、2010年)です。
小林さんの文章を読んでいると、なんだか自分もいっぱしに〈語れる〉ように思えてしまう、という感じをむかしからもっています。映画にしても、コメディアンにしても、自分が観たものはそんなにないにもかかわらず。
そういう楽しさは、貴重なものでしょう。
ただ、さすがの小林さんも、記憶違いをしています。ドライサーの『アメリカの悲劇』に関して、青年がつきあっていた女性を湖に連れ出して、ボートのオールで殴ると書いています。(p490)小林さんも〈自信がない〉と、その場面はあやふやな記憶だといっていますが、ここは、事故で女性は死んでしまうのです。けれども、青年に殺意が全くなかったとはいいがたいので、裁判では殺人とされてしまう。そうしたあわいを描くから〈悲劇〉になるので、明確な殺意があっての行動では、おもしろくもなんともありません。