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1923年の大正関東地震の際の、●●●●に関するデマのことですが、こういう文献を見つけました。
村山知義の『演劇的自叙伝』2(東邦出版社、1971年)が引用している、江口渙の「関東大震災社会主義者朝鮮人の大量虐殺」という文章です。それによると、横浜で、税関の倉庫は罹災をまぬかれていたようなのですが、〈立憲労働党総裁山口正憲〉なる人物が、〈税関を襲え〉と扇動し、その妻と子分たちがあとに続いたようなのです。それが呼び水となり、倉庫に保管されていた食料は、避難民の手によって分配されたということです。この〈立憲労働党〉なる団体は、〈いつも赤鉢巻で赤旗を振って街頭演説などをやっている左翼の真似をする右翼の暴力団〉なのだそうです。かれらが、自分たちのやった掠奪行為を、●●●●のしわざだと、赤鉢巻と赤旗で、焼け跡を宣伝して歩いたのだというのです。それが、「社会主義者朝鮮人」に無実の罪を着せることになるデマのはじまりだというのです。

なお、江口渙は、『続 わが文学半生記』(青木文庫、1968年)によると、地震のあと、彼自身も、宝積寺(江口の故郷の烏山に向かう鉄道の、東北本線からの分岐駅)で、あわや消防団青年団の人びとに殺されそうになったということです。