責任の所在

前から言っているのですが、原子力発電が消えた場合の日本の電力供給量は、ほぼバブル直前の1985年のレベルに同じなのです。それは逆に、この25年間で、わたしたちは1.5倍の電力を使ってきたということになるのですが、1985年のレベルを再考することも大切ではないでしょうか。もちろん、個人もちのPCどころか、ワープロ専用機も、個人よりもオフィスにやっと配備されだしたころでしょうか。テレビも1973年の石油ショック以来、平日深夜には停波していたような印象があります。だからこそ、フジテレビが土曜の夜にオールナイトをやったのが話題になったのでしょう。

人間の手に負えない自然災害には、逃げるしかありません。三宅島のことを思い起こせばいいのです。ただ、今回は人間が引き起こした災害ですから、その人間は責任を取らなければなりません。いや、取らせなければなりません。ですから、単に『避難しましょう』というのではなく、『責任もって避難させなさい」と、要求しなければなりません。そうしないと、自己責任論にからめとられてしまいかねません。

どさくさまぎれに、消費税の増税(被災者の人にも負担を強いることになります)とか、いわないでほしいですね。液状化した豊洲築地市場を移転するとかも同様の話です。あと、復興のために電波をゆたかにとかいって、アナログ停波の断行ということもやりかねません。