転機

1923年の関東地震のとき、志賀直哉は京都山科あたりに住んでいたと記憶しています。京都では少し揺れたらしいですね。
その後、彼はしばらく奈良に住むというように、関西を拠点にしていました。小林多喜二が奈良を訪れたというのも有名な話ですね。
谷崎潤一郎は、地震のあと、関西に移住しました。「細雪」「陰翳礼賛」とかの、かれを代表する作品は、関西の土地によくなじんでいる(ご承知でしょうが、谷崎は東京日本橋の生まれです)ように思えます。
ふたりとも、西日本に住むことで、日本の文化の〈伝統〉(といっていいのかは議論の余地はありますが、とりあえずのこととして)が染みこんだ土地の感覚を身につけたような感じがします。