独唱から

宮本百合子の文学を語るつどい。終了しました。
1970年代には、百合子の文庫本はあたりまえのように入手できて、横光利一の本のほうが入手困難だったのですが、30年の年月は、それをすっかり逆にしてしまったようです。
それでも、『二つの庭』の新潮文庫(1949年)には、けっこう思い入れがあるのですが、それには、買ったときの印象もあるのかもしれません。ちょうど春休みで、予備校の春期講習に通っていたのですが、その日の講義が終わり、その近所の本屋で買ったのです。たまたま、本屋ではラジオでの高校野球の中継が流れていて、前橋高校の松本投手が、比叡山高校あいてに完全試合をしたのです。試合の中盤から、最後まで聴いて、そのあと購入したのが、新潮文庫の『二つの庭』でした。
帰路の電車の中で、読んだ〈あとがき〉が印象に残りました。『伸子』はアリアで、『二つの庭』はクワルテットで、『道標』はコンチェルトだというのです。そのときにはまだ、『道標』は読んだことがなかったので、それはあまり身にしみなかったようですが、そのあとで、なるほどと感じたのでした。
百合子の戦後の第一声にあたるものが、『歌声よ、おこれ』であることはよく知られているでしょうが、そこで〈歌声〉がおきることで、『道標』のコンチェルトがシンフォニーに発展していくのでしょう。シンフォニーになって、人びとの生活の深いところまで、文学がおよんでいくと考えると、そこに至るまでの、苦闘もみえてくるというものです。
とならば、『春のある冬』『十二年』と続くはずだった世界が、どのような歌えなかった〈声〉を歌うのか、それを不可能にさせた、戦時中の弾圧の凶暴さもあらためて考えずにはおれません。