立ち位置

中塚明さんの『近代日本の朝鮮認識』(研文出版、1993年)です。
日本人の多くが、朝鮮を見下してきたことを、教科書の記述であるとか、独立運動に対する観点とか、好太王碑文をめぐる問題とか、そうした事例にふれた、論考集です。
みずからを、東亜の盟主と考えて、ほかの民族を抑圧してきたことに関して、きちんと認識していかないと、いつまでたっても、本当の意味での相互理解はできないということは、この間の領土問題をめぐる、いろいろないざこざからもわかるでしょう。朝鮮半島の問題は、直接日本が植民地支配をしたこともあって、決してスムーズにながれているとはいえません。
中塚さんの本は、こうしたことに関して、それぞれの個人がどう考えるのかを迫っています。

ところで、この本のなかに、好太王碑文に関しての論考があります。日本に碑文をもたらしたのは、参謀本部の情報将校であったこと、そして、初期の研究は参謀本部の枠の中でおこなわれ、それは記紀の記す朝鮮半島への侵攻を補強するものだという前提で行われたということが論じられています。この論が発表された1970年代はじめには、高校の教科書に、碑文の「拓本」と称するものが掲載されていたのですが、それが実は本当の拓本ではないことも論証されています。
そう思うと、歴史の教科書もけっこう時のイデオロギーに支配されるものなのですね。気をつけなければなりません。

ときに、どなたかが論証されているかどうかは知りませんが、「倭以辛卯年来渡海破百残」うんぬんの文言ですが、この「来」は「このかた」と訓読すべきではないでしょうか。「倭は辛卯年からずっと、海を渡って……」というべきではないかとも思うのです。ことしがちょうど辛卯年にあたりますが、それはそれとして。