二倍

『図書』の11月号に、明治の始めごろに、日本の暦の研究した人の紹介が載っています(筆者は長島要一さん)。デンマークからやってきた電信の技術者で、日本の女性と結婚するなど日本文化への傾倒が深く、それがこうした研究につながったようなのです。
その人は、記紀にある歴代天皇の没年齢が、100歳を超える数値がしばしばみられることに気づきます。そして、その原因を、中国から暦が導入される前は、日本人は春分秋分とを基準にして<1年>を決めていたからではないかと推測するのです。
ご存知のかたも多いでしょうが、九州王朝説をとなえた古田武彦さんは、魏志倭人伝に引用された『魏略』の文章から、同様の結論をみちびきだしています。そのデンマークの人が、どういう過程で古田さんのいう〈二倍年暦〉にたどりついたのかはわかりませんが、いろいろな説には先駆者がいるのですね。そんなに、〈新発見〉といえるものは実は少ないのかもしれません。