学部はちがった

紅野敏郎さんが亡くなられたと聞きました。
私は文学部で、竹盛天勇(本を書くときは天雄とされていました)先生に卒論を出したので、教育学部の紅野さんには、直接教わる機会はなかったのでした。ただ、一度、教育学部で履修する国語科教育法の授業の担当者として、紅野敏郎、杉野要吉の両氏の名前があったのですが、先着順でどちらも選にもれたことを覚えています。
紅野さんといえば、1980年代初頭、宮本百合子に関してNHKの第二放送だかでお話をされて、『十二年の手紙』に触れられていたという記憶もあります。