仕掛け人

武井昭夫が亡くなったらしい。
新日本文学会から、気に入らない人たちを追い出すために、わざと、それまでもそれ以後も事前に活字にすることのなかった大会への報告を、あえて活字にして、批判する人をあぶりだそうとしたのは、けっこう策士の行動だったように思います。
かといって、もしもあのときそのまま続いていても、『新日本文学』には書いたものは発表できなかったのでしょうから、除籍されて民主主義文学同盟を結成したのは、当然だったのかもしれません。
大会を特集した『新日本文学』で、藤田省三が、〈自分は数合わせのために入会したので、執行部の提案に賛成するために黙々と手を挙げた〉という趣旨のことを書いていたのが記憶にあります。武井側にしても、勝負をかけていたのでしょう。