それをいうなら

新潮社の『現代ソヴェト文学18人集』の第3巻(1967年)に、江川卓が解説を書いています。
この巻には、1960年代の作品が収められていて、当時のソ連のいろいろな潮流が見えるのですが、江川は解説でこういいます。「スターリン時代に生きたことの意味、さらに言えば、その時代に作家であったことの意味は何なのだろうか?」そして、こういうのです。「あの時代に作家として認められていた事実、いや、極言すれば、あの時代におめおめとものを発表していられた事実そのものが、加害者とはいわぬまでも、彼らが体制に組みこまれ、したがって時代への責任をわかちもっていたことの何よりの証左にほかならないからだ」
これと同じことを、軍国主義時代の日本の作家たちにもいえるのかどうか。そこをしっかりと認識しないと、こうした物言いを単純にはできないでしょう。プロレタリア文学運動から民主主義文学運動のもつ意味を考えるときも、こうした発言は参考になります。