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鈴木淳さんの『維新の構想と展開』(講談社学術文庫日本の歴史20、親本は2002年)です。
帝国憲法までの時代を、維新構想の国民的合意形成という側面からとらえたもので、民権派にとっても、憲法がある程度の合意できるものであったことを、地方制度とのかかわりで検証しようとしています。
それはそれとして、今回初めて知ったのが、軍人勅諭が、最終的に福地源一郎の筆になるものだったということです。桜痴福地源一郎といえば、最初に名前を知ったのが、小松左京の「紙か髪か」という作品の導入部で、桜痴先生の寵妓なにがしが、金時計のふたをしめるときの音を好んだので、くだんの女性が病臥の折、桜痴先生まくらもとにて金時計を頻繁に開閉し、しかして時計のふたの用をなさざること多し、という真偽不明のエピソードが紹介されていたのと、森鴎外の「雁」で、お玉の父親が寄席にいったときに、帰りに芸者やお酌を大勢連れてきていたのに遭遇したというぐらいしか印象がなく、たしかに高校日本史で、福地源一郎の帝政党という名は聞いたことがあっても、軍人勅諭の話は出てこなかったので、これは少し驚いたしだいなのです。
ほかにも、イメージ先行型の人も、きっといるのでしょう。気をつけなくてはいけませんね。