せっかくなのに

『群像』とイギリスの文芸誌『GRANTA』とが共同で、お互いの雑誌に作品を掲載するという企画を始めました。この8月号が第1回で、イギリス側はナイジェリアの作家、アディーチェの「シーリング」、日本側は桐野夏生「山羊の目は空を青く映すか」です。
でも、ナイジェリアのひとは、ナイジェリアを舞台にした作品なのですが、桐野作品は、どこの国ともわからない無国籍の作品なのです。日本の現代文学を紹介するのに、どこの国かわからない囚人労働の酷薄さを描く作品を出すことが、日本文学の紹介になるのでしょうか。非人道的な世界を描くのは、特定の時間と場所あってこそではないでしょうか。
紹介するなら、次に掲載されている、舞城王太郎さんの「ドナドナ不要論」のほうが、よっぽど今の日本を知ってもらうのにいいのではないかと思うのですが。