分野ごと

兵藤裕己さんの『〈声〉の国民国家』(講談社学術文庫、2009年、親本は2000年)です。
浪花節を題材にして、近代日本の、民衆の統合に関して論じています。
江戸時代から、日本人みんなが知っているストーリーというのが、だんだんと整備されてきて、それが浪花節にのせて、全国民的なものになっていったのだというのです。それは、ある意味では、文学がつかみきれない民衆の動向をつかんでいたというのです。
たしかに、昭和時代の、〈大衆小説〉は、坪内逍遙以来の文学伝統ではなく、実録物などの後継者であるということはたしかですし、浪花節の題材にあだ討ちものが多いのも、今の時効廃止のような、厳罰化の流れと関連づけて考えることはできるでしょう。
それは、そうした大衆の動向に密着して、それを変革するのは、そうした民衆の芸術に深く理解をしたうえでの作業となるでしょう。文学の変革とは、別の担い手が行うべきものかもしれません。
そういう意味では、それぞれのジャンルごとに変革の課題があり、それはその分野が責任をもつべきことなのかもしれません。その意味では、ジャンルに高低はないことを明確に認識していかなければならないでしょう。音楽でクラシックとジャズとは明らかにちがいますし、かかわる人の意識もちがうでしょう。それと同じことは、文学にもいえるはずです。