つきつめる

能島龍三さんの『夏雲』(新日本出版社)です。
1967年に群馬県の国立大学に入学した若者たちを中心に描いた作品なのですが、その中で、主人公的役割をしているうちのひとりである、岡田昇平という青年がいます。彼は、高校時代から本格的な登山をしていて、冬山にも登ります。
彼の周囲の登山の仲間は、海外の山にも挑戦しようという人たちもいるのですが、昇平は、結局はそこには進みません。山に登って命をおとす人たちを知り、とくに一緒に登った仲間の死にも衝撃をうけます。そして、昇平は〈死なない登山〉のあり方について考えをめぐらせていくのです。
そうした昇平の姿が、共感をもって描かれているのですが、逆に、〈死んでもやむをえない〉と、他の人たちはおもっているのかどうか、そこのところを、もう少し描きこんでほしかったとも思います。死にたいと思って登山する人がいるとは思えませんし、死なないように十分な計画と準備をして山に登るわけですから、こうした問いかけ自体が、事情を知らないものだと笑われるのかもしれません。最近、ときどき聞く、中高年の登山で装備不十分でおきる事故とはわけがちがうのは当然でしょう。
でも、〈死なない登山〉の対極にある、〈死の危険と隣り合わせの登山〉に挑む、人の心というものは、追求する意義はあると思います。

そういえば、国鉄労働者作家だった足柄定之さんは、山で亡くなったのでした。