転機

2.26という日付でもありますから。
前回の続き的なところもあるのですが、横光利一神戸港から船に乗って、ヨーロッパに出発したのは、1936年2月20日です。そして、門司、上海とこえて、2.26事件のことを知ったのは、上海を出た船が、香港へ向かう途中のことだといいます。そういうこともあって、「旅愁」には、2.26事件のことが直接出てくるわけではないようです。
そういうきなくさい時代にも、人びとの生活は当然あるわけで、たしか戦前の日本の、GDPだかが最高値に達したのは1935年のことだとか聞いたことがありますから、そうした、ある意味、「強い日本」のあらわれたところで、クーデター未遂がおきたわけです。
その年は、オリンピックイヤーでもあったわけで、1940年のオリンピックが東京と札幌で開催されることも決まり、ベルリンでは水泳の前畑選手が金メダルを獲得するなどの活躍もあったわけですから(もちろん、同じ大会の男子マラソンのことは忘れることはできませんが)、そういったことも、いまのいろいろな報道のなかで、考えていかなくてはいけないのでしょう。

自分たちで勝手に「各種学校だ」と決め付けておいて、今度はそれを理由に学費援助の対象からはずそうという議論には、いやなものを感じます。確か女子のFIFA公式大会にも、その人は介入したようですし。