稲とライ麦

身もふたもないタイトルです。
映画の『稲の旋律』を観ることができました。
親の期待を背負って努力して、それがだめになってしまう主人公の姿が、よく出ている映画になっていると思います。
あの千華さんの両親のような人は、決して珍しくはないでしょう。それこそ、〈プロジェクトX〉とか、〈官僚たちの夏〉とか、〈不毛地帯〉とかのテレビにあるような〈昭和〉や、「坂の上の雲」にみずからを投影するような、上昇を当然のこととし、それを実現してきた世代にとって、今の若者の現状は、きっと見るに堪えないものになっているにちがいありません。
その点で、『稲の旋律』の千華さんは、『ライ麦』のホールデンくんと、共通するものがあるのです。
ただ、稲は実在しているのに対して、ライ麦はあくまでも彼の観念の世界の中の存在です。その違いが、二つの作品を分ける、決定的なものになっていることは否定できません。そこが、サリンジャーさんのそうであるゆえんなのでしょうが。