このころすでに

安岡章太郎さんの『利根川隅田川』(旺文社文庫、1977年)です。収録された「利根川」は1966年、「隅田川」関連の文章は1972年ごろのものです。
安岡さんは、利根川を源流から河口までくだってゆきます。当時は、まだ利根川上流のダム建設が端緒についたばかりで、八ツ場ダムも、予定の中にあげられています。ダムをつくることで、東京の水不足解消のほかに、観光をけっこう追究してたようなのです。沼田市あたりにも、大きな計画があって、安岡さんがインタビューした松永安左エ門さんは、沼田のダムは観光資源になると力説したようです。もちろん、そのダムはいまできていません。
ほかにも、足尾銅山を訪れて、当時も残っている鉱毒の状況をみたりしています。能島龍三さんの「夏雲」の時代より、すこし前になるでしょうか。
隅田川に関する文章では、井伏鱒二さんが、早稲田の近くで川にのみこまれた人が関口のあたり(今の江戸川橋かいわい)で水面に浮かぶ、ということを書いていたと紹介しています。2、3年前に、ゲリラ豪雨で、鬼子母神のあたりでマンホールで流された人が出たような記憶がありますが、たしかそのときも、江戸川橋あたりで遺体が発見されたと記憶しています。
水の流れというものは、過去を忘れさせないものなのですね。