一人称

ちょっと、『水死』の続きです。
主人公の作家が、〈長江古義人〉なのは、『取り替え子』(2000年)以来なのですが、『憂い顔の童子』(2002年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)と続く三部作では、客観的に、〈古義人〉と叙述されています。
いっぽう、『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(2007年)では、語りが〈私〉なのですが、作家は〈ケンサンロウ〉と呼ばれていることからみると、〈大江健三郎〉のようです。
今回の『水死』では、作家は〈長江古義人〉で、語りは〈私〉ということで、その点では新しい試みだといえるのでしょう。渡辺一夫を思わせる人物も、〈六隅先生〉だったり、〈渡辺一夫〉だったりと、その点では、作品ごとに世界は微妙にねじれています。〈アカリ〉と〈光〉という使い分けがあるかと思えば、〈塙吾良〉は同じみたいですね。