暗部

大庭柯公『露国及び露人研究』(中公文庫、1984年)です。
著者は1872年生まれ。ロシア専門家として、二葉亭四迷をしのぐほどの実力をもっていたようです。日露戦争後、新聞記者としてしばしばロシアに滞在、第一次世界大戦のときにはロシア軍に従軍してワルシャワあたりまで行ったという人です。
ところが、革命後のロシアの取材に、1921年5月、東京をたってロシア入りし、6月にチタから通信を送ったのを最後に、消息が途絶えます。そして、1924年、日本にいる夫人のもとに、『遺留金』米ドル換算220ドルが手渡されたのです。
日本の友人たちは、もう生存は絶望ということで、彼の葬儀を行い、全集の刊行を企てました。そして、ロシア関係の文章を集めた巻が1925年に刊行されました。それが、この文庫本の親本なのだそうです。
内容は、ロシアの風俗習慣や、世界大戦のときの様子、または革命直後の社会のすがたと、多岐にわたっていて、当時のロシアの激動がわかります。また、世界大戦で、オーストリア軍に参戦した人たちが、ロシアの捕虜になると、服を替えるとまったくロシア兵と区別がつかなくなる(きっと同じスラブ系のチェコ人なのかもしれません)という記述をみると、ハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』(邦訳は岩波文庫にあります)でも、主人公のシュヴェイクがロシア兵の衣服を身に着けて、余計な騒動をまきおこす場面があったのを思い出したりもします。
当時はシベリア出兵のさなかですから、日本とロシアとの関係が微妙だったとはいえ、いまでも、当時の事情がわからないというのは、困った話です。杉本良吉が越境したあとすぐに銃殺されたということが、ソ連崩壊後に明らかになりましたが、大庭柯公の場合も、事情がはっきりすることが必要でしょう。
もう明らかになっているのなら、知りたいものです。