微妙なずらし

高橋源一郎さんが『群像』に「日本文学盛衰史」を連載しています。戦後文学編ということで、この12月号には、『1946・文学的考察』を材料にしています。
登場するのは、その本を読もうとする21世紀の学生で、まず最初の加藤周一の「新しき星菫派に就いて」を読もうとするのですが、難しい言葉が多いので、ウィキペディアに頼っているという流れです。
作者の意図は、そうした設定で、戦後文学と現代との断絶を言おうとしているのでしょう。けれども、そのとき、仕掛けをしています。
というのは、学生は、最初に「星菫派」をウィキペディアで調べます。そして、与謝野鉄幹がその代表であることを知ります。作者はそこで、ウィキペディアからの引用を打ち切り、次の言葉を登場人物に調べさせているのですが、ウィキペディアの「星菫派」の項目には続きがあるのです。それは、加藤周一が戦時中の若手文学者をこの言葉を用いて論じたので、論争が起きたという趣旨の記載です。
つまり、この学生は、きちんと引用すれば、加藤周一の論文の意図を理解できる機会があったにもかかわらず、そこにたどりつけない、という状況にあることになるのです。これが作者のしかけです。

これが、ウィキペディアの当該部分です。(日本時間2009年11月10日午前4時12分にコピーしました)
〈引用はじめ〉
第二次世界大戦のあと、戦時中の若手文学者に対して、加藤周一は「新しき星菫派について」(中村真一郎福永武彦との共著『1946・文学的考察』に収録)という文章を書いて批判したために、論争が起きた。
〈引用終わり〉