節操

中野重治の、没後30年の命日だそうです。
中野の出処進退に関しては、いろいろと意見もあるでしょうが、『甲乙丙丁』のなかで、主人公は、自分が中央委員なのに、党大会で議決権のない評議員として出席したことを、屈辱のように感じています。
これは変な話で、中央役員は、いわば提案側なのですから、なるべく多くの仲間に、代議員として出席し、発言の機会を保障していくのが、提案側のつとめではないでしょうか。中央役員がひとり評議員になれば、それだけたとえば中野の出身地の福井県の代議員のわくが増えるということだってあるでしょう。
なのに、『甲乙丙丁』の主人公も、現実の中野重治も、評議員になったことを、屈辱だと感じているのなら、それはなんでしょう。こういうひとを、文学者の良心とかいって持ち上げる人は、どう考えるのか、聞きたいものです。