表紙を変えても

日本思想大系の『民衆運動の思想』(岩波書店、1970年)をひろいよみしています。
その中で、福島の菅野八郎(かんのはちろう、1810-1888)という人の書いたものがいくつか収録されているのですが、慶応4年に、新政府に宛てた文書があります。菅野さんは、会津藩の支配が過酷であったことを述べ、新政府の今後に期待をかけているのです。
薩長政府がわりあいあっさりと政権を確立できたのには、やはりこのような、幕藩体制への人びとの不満があったことは、落とせないのでしょう。赤報隊が、〈偽官軍〉とされなければならなかったのも、そうした民衆の期待を一時的にでも獲得しなければならなかったということなのでしょう。
しかし、新政府のもとで、福島県になにが起こったかは、三島通庸が県知事としてしたことを考えれば、単純にはいきません。表層的な政権交代を、実質的な前進にするには、それこそ、〈竹槍でどんとつきだす〉ような、血税一揆とか、地租の減免をかちとる行動とかが、ともなったわけです。
日本のそうした伝統を、知っておくことは大切なのでしょう。