ここにも傍証

川口浩(1905−1984)『文学運動の中に生きて』(中央大学出版部、1971年)です。
著者はプロレタリア文学運動のなかで、評論や外国の文学動向を翻訳して紹介するという仕事を主にしていて、戦時中から戦後にかけては、日大や中大で教えていた方です。岩波文庫の、ローザ・ルクセンブルグの手紙を、配偶者の松井圭子さんと共訳で出されてもいます。
この本は、プロレタリア文学運動の時代のことを回想した書き下ろしのものです。当時の状況がわかるのですが、その中に、1931年に、文学運動組織のなかにできた、日本共産党のフラクション(支部のようなものです。細かい議論はいまはしません)のことが書いてあります。「同盟内党フラクションの名誉のために」と、川口さんはメンバーを明らかにしています。中野重治宮本百合子・橋本英吉・川口浩のグループと、小林多喜二・鹿地亘・山田清三郎・窪川いね子のグループが最初にできたようです。
川口さんは、「中条百合子宮本顕治との結婚問題をフラクション会議に申し出た時のことは、今でもはっきり印象に残っている」として、「その時の百合子さんの、つつましやかで、しかもキリッとした表情と、その物言いは、実に美しかった」と回想しています。(p74-75)
こういう証言もあるのに、中村智子さんは、百合子の1931年入党に異を唱え続け、1973年の単行本『宮本百合子』(筑摩書房)でも、1981年復刊の際にもはっきりとさせず、1998年の『百合子めぐり』(未来社)でも、1932年の弾圧のあとの入党に固執しているのは、なんでしょう。それも、黒澤亜里子さんの編んだ、『往復書簡 宮本百合子湯浅芳子』(翰林書房、2008年)の解題(p583)でも、「異論」として紹介されていて、トンデモ説扱いになっていないというのは、どういうことなのでしょう。
その当時に生きていた人に、乱暴すぎるように思います。