立ち位置

水曜の夜、NHK総合での太宰の番組を、見るともなく見ていたのですが、昭和初期の小説家の活躍を述べるところで、画面に出てきた雑誌が『キング』や『現代』だったのには、変な感じがしました。やはりここは『新潮』や『改造』『中央公論』を出すべきところでしょう。

太宰といえば、この前も浅尾大輔さんの論にふれて少し書きましたが、やはり、『発達史講座』と、「三二年テーゼ」の影響は大きいのではないでしょうか。それまでは、ひょっとしたら、社会が変革されても、大土地所有の津島家のものは、そのまま新しい農業集団化の基礎になると考えていたのかもしれません。それが、自分たちの存在そのものが変革されるべき対象となることへの、とまどいが、津島修治を、社会変革の道から遠ざけたのかもしれない、とも思うのです。

太宰のことはこじつけですが、まじめな話、『講座』や「三二年テーゼ」の前は、モダニズムの時代だったといってもいいようにも思います。モダニズムという社会の大枠を認めたうえで、新感覚派プロレタリア文学とが、あったのではないかと。それが、『講座』や「三二年テーゼ」によって、日本社会の半封建的なところがクローズアップされ、プロレタリア文学運動は、そちらの方向にシフトしていくはずだったが、弾圧でそこまでいく機会を与えられなかったのではないか、と考えるのです。
一方、新感覚派のほうは、日本社会が半封建的で、モダニズムではうまくいかないとなったとき、逆に「神がかり」的になっていったのではないかと、横光利一の軌跡をみると思うのです。「上海」「紋章」「旅愁」とならべてみれば、どんなものでしょう。そのへんは、今後、論じていきたいところです。