うらにあるもの

前回書いた、大西さんの本を探して、本棚の奥をあけてみていたら、『昭和史の瞬間』(朝日新聞社、1966年)を見つけました。
こどものころ、家にあったもので、自分のわかる範囲のところをよく読んでいた記憶があります。
朝日ジャーナル』誌に連載されたもので、昭和時代のいろいろなトピックをとりあげて、その意味を探っています。執筆者には、加藤秀俊さん、塩田庄兵衛さん、今井清一さん、伊東光晴さんなど、多士済々です。
いちばん当時わかりやすかったのは、「ターミナル文化」として小林一三の事跡をあとづけたものや、「のらくろ」を取り上げて、講談社文化の実態をおさえたもののような、加藤秀俊さん執筆の部分でした。
どちらも、戦前の人びとが享受することのできた、幸せな部分ではあったのです。しかし、加藤さんは指摘します。宝塚歌劇も、「昭和九年五月、花組の『太平洋行進曲』、同十月『軍艦旗に栄光あれ』と、「少女」に似合わぬ無骨なプログラムを組んだ」のですし、『のらくろ』も、「日中事変の勃発と同時に、猛犬連隊の相手方はブタになる。そして、そのブタは、どこからみても、中国軍のパロディであった。オトギ話的なのらくろは、ここで突如として、リアリスチックな物語に転回してゆくのであった」というようになっていくのだと。
そうしたかたちで、時代に流されていくところに、戦前日本の文化の一面があったことを忘れてはいけないのでしょう。横光利一が、戦時中に「神がかり」的になってしまったように。