正当化

この前、宮本・大西論争について少し書きましたが、本棚の奥から、大西巨人さんの『新生』(みすず書房、1996年)を出して、少し見直してみました。
大西さんの、宮本さんへの反論「青血は化して原上の草となるか」(初出は『新日本文学』1954年4月・5月号)が載っているのですが、その最後に、1984年の段階での追記が書かれていました。宮本さんが、『わが文学運動論』(新日本出版社、1983年)を出したことへの反論なのですが、そこに書いてあるのは、大略次のようなことです。

宮本は、自分の本の中で、1955年の新日本文学会7回大会で、自分の意見が勝ったと書いている。しかし、次の8回大会(1957年)の論議の中で、7回大会でのやり方は誤りだったという総括がなされている。その文書は、1958年に『新日本文学』に出ている。宮本はそのときも会員だったはずで、そのことを知らないはずがない。

もちろん、大西さんのいうとおり、7回大会での論議を否定しようとする人たちが、8回大会で勝利したわけです。たしか、武井昭夫さんは、8回大会での勝利を誇らしげに語っていたと思います。新日本文学会が地方の支部を廃止するのも、この8回大会で方向性が明確になりました。ですから、大西さんの側が勝ったことは事実として、それが文学運動の発展につながったのかは、検証されなければなりません。