見てわかる

加藤秀俊前田愛『明治メディア考』(河出書房新社、2008年)です。
もともとはある石油会社のPR誌のための対談だったのですが、1980年に中央公論社から単行本が、1983年には中公文庫に収められたものの新装版で、加藤さんのあとがきがついています。
統一したテーマというなら、明治時代の日本人の構想力が現在までどのように生きているのかを、さまざまなジャンルについて語り合ったという形になるのでしょうか。
読む人のいろいろな関心で、切り口もいろいろあるのでしょうが、その中から一つ。

明治期の特色として、博覧会が好評を博して、それによって殖産興業がはかられた(この本には書いていませんが、『正倉院』(中公新書)によれば、ある博覧会では、正倉院に納められていた布地そのものを切り取って頒布したとかいうことまでしたそうです)のですが、1903年にひらかれた博覧会で、アメリカから漁船につかう焼玉エンジンが出品されたそうです。すると、それを観察したひとたちが、それを国産化して、明治末年には日本中に広まったというのです。
加藤さんは、そうした「見てわかる」ところに、日本人の特色をみているのですが、何か新しいものをみると、どういう仕組みになっているのか観察して、真似をしてみるのは、種子島の鉄砲もそうだったといいます。明治にも、いろいろなものを観察して、まねてつくってみるというのは、初田亨さんの本にも、建築職人の話に出てきたように思いますが、そうした伝統は、大切なものかもしれません。

けれども、ある意味幸運なのは、19世紀の文明は、ともかくも「見てわかる」機械が中心だったということでしょう。ねじや歯車、ピストンなどなら、たしかに見てわかるものです。けれども、今のコンピュータを分解して、マザーボードを見て、わかるということは難しいでしょう。「見てわかる」時代に、欧米の文明に接触できたことが、曲がりなりにも日本を近代社会のなかで、欧米諸国と肩をならべることができたのは、運がよかったのかもしれません。