まとまらないけれど

本屋の店頭で、鈴木邦男さんが小林多喜二について書いた本を見ました。たしか出版社はデータハウスです。
さすがに、買おうとは思わなかったので、流し見をしたのですが、筆坂秀世さんとの対談など、けっこういろいろと考えているのだというつくりではあります。
なかみは、「多喜二も長生きしたら共産党から除名されたにちがいない」とか、「多喜二を結集軸にして新左翼とも共同すればいい」とか、「多喜二に党に入ることをすすめるよりも、党の近くにいて小説を書かせるようにすればよかった」とか、特に目新しいことはないのですが、よくある〈批判〉が並んでいます。
実際には、「共産党員の政治犯の妻」であっても、「共産党員」とは当時思われていなかった宮本百合子も、検挙されたり、執筆禁止の措置をとられたりしていたわけですから、仮に本当に多喜二が共産党にはいっていなかったにしても、そのレベルの弾圧はきたでしょう。プロレタリア文学の団体を作り、雑誌を発行し、作品を書くことそのものが、治安維持法違反とされたわけですから。実際に、当時共産党員ではなかった徳永直にも、特高警察の監視は常についていて、熊本に帰省したときにも、現地で監視されているということが、「冬枯れ」という作品(1934年)には書かれています。小説家でも、容赦はなかったのです。