誇りのありか

吉行淳之介『私の文学放浪』(講談社文庫、1976年、親本は1965年)です。
著者の文学的出発から、芥川賞受賞をへて、書かれた当時の1964年あたりまでの回想記です。いわゆる「第三の新人」の人たちの最初の頃の印象なども書かれています。
著者は、いわゆる「純文学」以外の場でも、いくつかの作品を出しているのですが、そこに関して、こんな気概をしめしています。
「文芸雑誌に作品を書く場合には、私は自分自身の中に住んでいる一人の読者一人の批評家を意識するだけであって、さまざまの顔をしたいわゆる読者のことはまったく念頭にない。しかし、マスコミ出版物に作品を書く場合には、読者を念頭に置かないわけにはいかない」
こうした意識を、最近の書き手の人たちももっているといいかなと思います。「純文学」だの「大衆小説」だのという区分けが意味がなくなっているというたぐいの議論はよく聞きますが、それは読者の立場であって、作者や、送り手の意識ではないのかもしれません。