悠々と

尾崎一雄さん(1899−1983)の『単線の駅』(講談社文芸文庫、2008年、親本は1976年)です。
表題は、地元下曽我の駅が、御殿場線という、戦前は東海道本線だったのが、1934年に丹那トンネルが開通して、熱海から三島まで直通できるようになってからは、ローカル線に格下げされ、さらに戦時中にレールが供出されて、複線だったのが単線の鉄道になってしまったというところから、きているようです。
いろいろなエッセイを集めているのですが、『群像』に連載した長編回想録、「あの日この日」(単行本は講談社から全3冊)にまつわるものがおもしろいです。
回想というのは、どうしても記憶の歪曲がつきまとうもので、尾崎さんも、自分で書簡など確認して、記憶の間違いを訂正したということもあるようで、この中にも、井伏鱒二との対談で、早稲田に女性の聴講生がきたとき、その中に網野菊湯浅芳子とともに中条百合子がいたと主張して、あとで湯浅に確かめたら、百合子は百合子でも望月百合子だったとかいう話が載っています。
そういう思い違いを正した例として、有名なのが、志賀直哉小林多喜二が奈良に来たときを、「春」だと勘違いしていたのを、「秋」であることを尾崎さんがつきとめたということがあります。志賀直哉網野菊にあてた手紙で、それがわかったということが、「あの日この日」のなかにありました。
そうした尾崎さんですが、日常は梅干を漬けたり、屋根に上って修理をしたりと、日常性の中に生きています。それはいまでいう、エコロジーの考え方につながるのかもしれません。
そうした生き方は今は難しいのかもしれませんが、そうしたゆとりはもっていたいものです。