最新の情報

『孫ひん(月+賓)兵法』(ちくま学芸文庫金谷治訳注、2008年、親本は1976年、原本は1975年)です。
史記』を読んだことのある方はご存知かと思いますが、「孫子」と呼ばれる人物は、実は二人います。ひとりは、春秋時代に呉の国に仕えた孫武で、もうひとりが戦国時代に斉の国で活躍した孫ひんなのです。
ですので、漢の時代には、「呉孫子」と「斉孫子」との二つの書物が両方残っていたと伝えられているのですが、隋の時代にはすでに、「孫子」という書物は一種類しか残っていませんでした。
そのため、残っている「孫子」は、どちらの著作なのか、両方が混在しているのかが問題になり、どちらかというと、孫ひんの著作ではないかとも言われていたのでした。同じ金谷さんが訳注をつけた、岩波文庫の『孫子』(1963年)には、「孫武の著述とする伝統的な見解は、学問的には、今日では否定されることになった」と書いてあるのです。
ところが、1972年、山東省のある墓から出土した竹簡に、いままでの『孫子』とはちがった内容が記されていて、そこには明らかに孫ひんの事跡と符合するものが書かれていたのでした。そこで、中国では「銀雀山漢墓竹簡整理小組」が結成され、研究を重ねた結果、これは孫ひんの著作だと結論づけて、1975年に釈文を刊行したのです。
金谷さんは、この本を注も含めて、原文を残しながら書き下し文と日本語訳をつけて、刊行したのが、この文庫本の親本なのです。原注もそのまま訳してあるようで、この本を手に取るであろう日本人の教養レベルからすれば、あらずもがなの注も、そのまま残してあります。
さて、その本のなかに、金谷さんは「二つの『孫子』」という解説をつけています。そこで、中国側が、この出土したものを孫ひんの著作だと断定していることに、若干の留保をつけています。いままで『孫子』と呼ばれてきた著作との関係は、もう少し厳密につめていかなければならないという趣旨からです。
今回の文庫版にあたって、付加された文章はありません。金谷さん自身も、2006年になくなられているので、本人が増補することがかなわないのは当然なのですが、30年余りの時間をへて、最初に金谷さんが提起した疑問が、どの程度解決されているのかが、文庫版の読者にはわからないということになっているのが残念なのです。
小説ならば、別に付加することは必要はないと思いますが、(作者が恥ずかしくてリメイクしたというのが、鈴木清剛さんの「ロックンロールミシン」で、小学館文庫では大きくなおしているそうです)こうした研究書に類するものは、最新の情報を付加してもらいたいものです。
こうしたことは、先だって新日本出版社が手塚英孝さんの『小林多喜二』を再刊したときにも感じたのですが、何かほしいなとは思います。ただ、森川嘉一郎さんの『趣都の誕生』が幻冬舎の文庫になったときに、最終章を増補しているのですが、そういうときに、それだけのために買うのもためらってしまうというのも、一方ではあるので、難しいところではあるのだとは思いますが。