方向

福田和也さんの『地ひらく』(文春文庫、2004年、親本は2001年)です。
福田さんは私と同学年なので、きっと小学生のころに『坂の上の雲』を読んだり、アニメの「決断」をみたり、産経新聞のだしていた〈第二次世界大戦ブックス〉をよんだりしていたのかなと考えながら、石原莞爾を語る福田さんのみつめるものを考えていました。
福田さんがこの本で石原の生涯をベースにして語ろうとしたのは、〈義〉ということなのでしょう。国家においても、個人においても、〈義〉の有無ということが、どういう結果をもたらすかということに、ポイントがおかれているようです。
ですから、南京事件に関しても、侵攻軍の軍紀の乱れをきちんと把握し、そこに事件の原因のひとつをみるというところで、決して単純な議論にはなっていません。また、〈満洲国〉が、決して実態として〈王道楽土〉ではなかったことも、石原の理想がつぶされたという言い方で、見落としてはいないのです。(でも、こういうのをよむと、イスラエル満洲国とどこがちがうのだとも言いたくなりますね)
昭和初年の、マスメディアが戦争をあおる報道をして「世論」形成に一役買ったこととか、「二大政党」が、政争にあけくれ、対中国政策をころころ変えたこととか、いまの事態をみていると、轍をふんではいけないのだなとも考えます。元号でものいうわけではないですが、「平成」を「大正」にあてはめると、「大正21年」というのは、昭和7年に相当するのですから。