ちがいはどこに

山口昌男さんの『アフリカの神話的世界』(岩波新書、1971年)です。
トリックスターなどの概念をつかって、アフリカの「神話」を分析しています。大江健三郎さんの小説にもたぶんいろいろと影響をあたえたものなのでしょう。
そうした分析自体には、そういうものなのかとも思うのですが、こうした世界が「未開」だの「野蛮」だのと呼ばれてしまったのは、どういうことなのでしょう。
アフリカ自身が、他所との交流をもたなかったわけではないのはいうまでもありません。イスラム教は西アフリカ一帯に広がっていったのですし、東アフリカにはインドや中国からの商品が多く流入しています。けれども、「千一夜物語」の発端の部分にみられるように、黒人はなにやら怪しい存在として登場していますし、中国の伝奇作品のなかにも、「崑崙奴」とかいう名前で、なぞめいた扱いを受けたりしています。
さらには、ヨーロッパの人たちとの接触のなかで、アメリカ大陸のほうへ奴隷として売られていく人たちが多くあらわれていったわけです。
いわゆる「大航海時代」以前には、アフリカもヨーロッパも、そんなに文明の発達レベルが違っていたわけでもないのでしょうが、どこに分岐点が生まれたのか。そうしたことも考えなければ、現在の格差もわからなくなってしまうのかもしれません。