言うのは勝手だ

水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)が評判らしいですね。
『新潮』で出たときに少し書いた記憶がありますが、今回、少し流し読みして、感じたのですが、はっきりいって、彼女の日本語の知識は付け焼刃ですね。
何せ、「五箇条のご誓文」が、公文書の日本語表記の最初だというレベルの認識なのですから、何をかいわんや。
宣命はなんでしょう。今川仮名目録はなんでしょう。御成敗式目吾妻鏡だって、あれは漢字で書いた日本語でしかありません。この程度の認識で、『新潮』に230枚の原稿を書いて原稿料をもらい、筑摩書房から本体価格1800円の本を出して印税をもらえる(買ってしまいましたが)というのは、どんなものでしょうか。
ちょっと、やっかんでますね。これくらいにしましょう。

まじめにいうと、宣命五箇条の御誓文との間には、約1200年の年月があります。この間の、日本語を学問の記述を可能にする言語にするための努力を、全く見ないということになりかねません。

それに、明治以降、主著を英語で書いた日本人は、すぐに思いつくだけで、岡倉天心新渡戸稲造内村鑑三鈴木大拙と名前が出てきます。そういうふうにして、世界に通用することばを使う人もいれば、だからこそ日本語を使おうとした人もいるのです。

自分の好きなことばかり書くのは、小説家としてはそれでもいいのでしょうが、(もちろん、オルハン・パムクのように、政治は耳障りだが書かないわけにはいかないと言った人もいますから、本当はよくないのかもしれませんが)そういうものだと考えて、過敏に反応することはないのかもしれません。