名づけ

この前、「さすらいびとのフーガ」で、登場する朝鮮民族の親子が、名に一字を共有していることに関して、漢族ではありえないことなので、朝鮮ではどうなのかと考えていたのですが、小田実さんの『河』(集英社)のなかで、上海で主人公の出会う朝鮮人の親子が、やはり一字を共有しているという命名がされていたので、そういうことはありえることなのだと、あらためて認識しました。
考えてみると、名づけのルールはむずかしいもので、アイスランドには名と父称があるだけで、ファミリーネームがないと知ったのはつい最近ですし、ロシアでは、男女で姓の語尾が変わる(トルストイとトルスタヤのようなものですね)のも、知ったのはそんなに昔のことではありません。
その点で、もしこのブログをごらんになっていらっしゃったら、作者の北原さんには、いやな思いをさせてしまっていたでしょうか。もうしわけなかったと思います。