耳に入りやすい

高島俊男さんの『漢字と日本人』(文春新書、2001年)です。
いささかあまのじゃくなもので、この本も、刊行当時には買わずに、いまになって、古本屋で初版が安く出ていたので買ったのですが、日本語における漢字の使い方と、何でもかんでも漢字で造語してしまう日本人の心性とに関しては、歴史的におさえていると思います。
ただ、戦後の国語「改革」に関しての意見には、少し考える余地もあるでしょう。漢字制限によって、まぜ書き(「拿捕」を「だ捕」と書いたりするやつです)や、言い換え(「函数」が「関数」になる)などへの批判には、耳を傾けることもできます。けれども、漢字の字体についての批判は、半分は納得がいくのですが、保留したいところもあります。字体そのものは、それこそ篆書・隷書などと変ってゆくわけですし、康煕字典がすべてというわけでもないでしょう。もちろん、「藝」と「芸(うん)」が混同されることがいいとは思いませんが、手書き体を活字に適用するのがおかしいとは必ずしもいえないのではないでしょうか。
というのも、江戸時代までは、活字印刷はほとんどなく、手書きの写本か、それに基づいた版木による印刷で、文献は流通していたわけです。そこでは、「日」へんに「反」で「暇」をあらわすような、略体が印刷されることはよくあることでした。かなづかいだって、「歴史的かなづかい」で当時の人々か文章を書いていたわけではないのですし、漢字の字体も同様です。当て字もざらですし(むかし、『公卿補任』をみていたとき、「三木」と書いてあるのがなんだろうと思ったら、「参議」のことだとわかってびっくりした記憶があります)それが、明治の活字の時代になって、教育によって、康煕字典体と歴史的かなづかいとが、全国に浸透していったわけです。変体がなが消えたのも、このころでしょう。中野重治宮本百合子の原稿には、変体がなが使われています。
戦後の国語「改革」を否定する人の中には、それをそのまま戦後の政治体制への批判にすり替え、戦前の国家体制を美化する方向に流れる人がときどきいるのですが、高島さんがそうした方向に流れているようで、そこはとても気になります。