鉄砲水

雑司が谷の事故は、痛ましいことです。
〈谷〉という地名があるとおり、あのへんはけっこう起伏が激しく、(池袋の「袋」も同様ですね)、神田川に流れるところも急ですし、神田川自体も、けっこうよく氾濫する川なのです。
大学時代に、神田川があふれて、早稲田の都電の終点のあたりから、グランド坂(当時はまだ安部球場があった時代です)の下あたりが水浸しになったことがありましたが、そのときも、文学部キャンパスに隣接したグランドがきれいに水がつかり、馬場下町の交差点のあたりまで水が来ていました。
今尾恵介さんの『地名の社会学』(角川選書)では、武蔵野台地の「くぼ」という地名を手がかりに、微妙な地形の高低をさぐっていますが、そうした地名も、無視しないことが今後の宅地開発には求められているのでしょう。
明治時代の2万分の1の「迅速図」をよく読みとることも必要なのかもしれません。川が暗渠になったり、埋め立てられたりして、表には出ていなくても、水はしっかりと流れていくのですから。