広がり

リチャード・ゴールドスタイン『傷だらけの一頁』(鈴木美嶺訳、ベースボール・マガジン社、1983年、原著は1980年)です。
第二次世界大戦の時期に、アメリカの野球がどのように過ごしていったのかを、多くの写真とともに記述したものです。
メジャーリーグの選手たちも、兵役にとられたり、野球が続けられても、チャリティーの試合をやってその収入を飛行機製造のために献金したり、ボールが粗悪品になったり、長距離の移動が制限されたのでキャンプも小規模になったり、灯火管制のためにナイトゲームが減ったりと、ある意味では、日本もそうでしたが、「国策」に協力する姿勢をしめしていくことで、野球をつづけていった面があったようです。この本をニューヨークでみつけて、『週刊ペースボール』編集部にもちこんで、翻訳していくことを決めたのは、長年野球記者をつづけてきた田村大五(『週刊ベースボール』誌上に「白球の視点」というコラムをしばらく連載していて、本にもなったと記憶していますし、〈大道文〉というペンネームでも、いくつかの著作をもっています)さんなのだそうですが、こうした本を翻訳して出版していくところに、『週刊ベースボール』の意味もあるのでしょう。
実は、ムック形式で、『週刊ベースボール』創刊50周年記念号が出たのですが、日本野球の先人たちのインタビューや記事は載っていて、それはそれで貴重なものだと思うのですが、この、『傷だらけの一頁』のような、アメリカ野球事情を継続して紹介してきたことへの言及がほとんど見られなかったので、少し残念に思っていたところなのです。何日か前に、『来年があるさ』という、1950年代のブルックリンを舞台にした、女性ジャーナリスト(1943年生まれの方です)の回想記のことを話題にしましたが、野球の思い出と、1950年代の社会のありかたを関連させたその本のようなものもあれば、ジャッキー・ロビンソンルー・ブロックなどの名プレイヤーの自伝を紹介したりと、さまざまなアプローチで、アメリカ社会と野球との関係を考えさせてもらったものです。
変な話、日本人選手がメジャーリーグに行くようになってから、かえってそうした紹介が少なくなってきたように見えるのは、メジャーリーグの受け止め方にも影響していくのではないかとも思うのです。向こうの意見だけが、野球ではないのでしょうし、それを知るためにも、向こうのものの考え方を、冷静になって検討する必要はあるでしょう。そうしたクッションとしての、向こうの著作の紹介は必要なはずです。(向こうでも、そうした本は少なくなっているのかもしれませんが)