周圏

川口久雄『平安朝の漢文学』(吉川弘文館、1981年、日本歴史叢書)です。
1981年なら、刊行当時の記憶でもと思うのですが、そのときには、中村真一郎富士川英郎の影響から、江戸の漢文学には関心は持っていても、平安期のものにはあまり興味をひいてなかったのかもしれません。
平安時代が、日本における漢文学の第一の隆盛期だったことは、勅撰漢詩集の存在などでも知られるわけですが、中国の文化が、東方僻遠の日本に伝わってきたわけで、そうした影響のもとに、漢文学の作品も生まれれば、和文のものにも影響を与えたのではなかったかと、筆者はいいます。たしかに、日本では、漢文で書くものと、和文で書くものとが、特に平安時代にははっきりと分かれていたわけで、両者をきちんと見ることが、当時の文学状況を全体的につかむことになるのだと思います。本場でも、文言でかかれたものと、白話のものとを相補的にみる必要がある時代が存在するのと似たようなものかもしれません。
そのような、中国のものが日本にどのようにして伝わってきたのかをさぐるときに、敦煌から出土した文献が参考になるのだそうです。中原でははやくから亡佚したものが敦煌から出てくる。それが、日本に遺存したものと共通点があるというのです。考えてみれば、中原を基準にすれば、西のはずれが敦煌で、東のはずれが日本になるわけですね。